越前粟田部蓬莱祀

木遣り唄

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花筐自治振興会

蓬莱祀保存会

蓬莱祀のはじまり~古くから伝わる蓬莱祀の3つの起源説~

継体天皇の即位説

「粟田部と蓬莱祀」

岡太神社境内にある石碑

今から1500年前の継体天皇の即位と、蓬莱祀はどのようなつながりがあるのでしょう。
継体天皇は幼い頃に父が亡くなり、母の故郷の越前で育てられました。お住まいがあったとされる各地に伝説が生まれ、ここ粟田部にも先人達がとても大切にしている伝説が残っています。
日本の国家が芽生え始めた頃、第25代天皇が崩御し臣下が協議して越前の「男大迹皇子(おおとのおうじ)」を次の天皇にお迎えしたいと、使者が粟田部にやってきました。なお男大迹皇子とは継体天皇の幼名です。
皇子は粟田部を出発して樟葉宮(くずはのみや)(枚方市樟葉)で第26代天皇に即位(507年)されました。皇子への崇敬の念が強い粟田部の村人が、到着された旧暦正月13日(現在の2月13日)を祝う日として始められたのが「蓬莱祀」とされます。新しい天皇が即位した年の大嘗祭で造られる標山と、蓬莱祀の山車の共通点も新たに分かりました。

蓬莱山(ほうらいさん)説

中国の不老長寿の伝説より、岡太神社裏山の三里山を蓬莱山に見立て、山車を蓬莱山のように飾り立てて曳きまわしたと言われています。

耒耜(らいし)説

中国の歳時記「月令」では立春の吉日に、天子が古代中国の農具「耒耜(らいし)」で豊穣なめぐみを願い、大地を耕す農耕始めの儀式を行っていました。この渡来の儀式を継体天皇が粟田部の田で行っていたとする説があります。

蓬莱祀の莱の旧字は「萊」です。古い文献は蓬莱祀は「莱祀」と記されてます。莱祀に「御」「蓬」の接頭語が付いて、その後に「蓬」を「お」と発音して「おらいし」に変化したと考えられます。

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