10月

迹王の餅

開催日:10月12,13日
場所:岡太神社と粟田部町内
祭り:継体天皇が遷都された日を祝って始められたとされる神事。

岡太神社の「堂」と「宮」の講組織より若い当番者が選ばれ、12日は神社に献上する餅を当番者宅から集めて廻り、翌朝13日に講の全員に渡される。粟田部では男大迹皇子(継体天皇)から餅をいただいた伝承を大切にし、堂の餅を迹王の餅と呼んでいる。

迹王の餅

迹王の餅迹王の餅は10月12日早朝のお祓い後、当番宅へ大半桶(だいはんぎ)と呼ばれる桶を担いで餅を受け取りに行きます。餅の重さは昔から決まっていて、検査もあります。当番宅ではお祝いの振る舞いが用意されていて、接待を受けた後に大量の餅を大半桶に移して担ぎます。お酒も入って威勢の良く「迹王の餅の唄」を唄う若者が町を練り歩き、夕方まで一日かかって全ての当番宅から岡太神社に集められて献上されます。翌13日早朝より餅の引換が行われ、講の加入者は餅の引換札を持って岡太神社の拝殿(宮)と神輿殿(堂)に行きます。当日13日は岡太神社の秋の例大祭日でもある。素朴な堂の餅の唄は、岡太神社の氏子達が集まる場で、みんなで喜びを分ち合い、仲間との連帯感を意識する唄として歌われる時があります。

迹王の餅迹王の餅の始まりは、継体天皇が大和の磐余玉穂宮に遷都された日を祝して始まったとされる。また男大迹皇子がこの地に潜竜の頃、常に深く御心を民事に留められ、その恩徳に報いるため郷民が餅をついて奉納したところ、皇子からも餅を郷民に下賜されたとされる。最近迹王の餅の最も古い記録が見つかり、文化10年の宮西座の記録によると享保6年(1721年)に餅を献上した人の名前が残るので、少なくとも約三百年の歴史がある伝統を誇る神事である。

HP:越前粟田部蓬莱祀 http://oraishi.jp/