◆わら集め
◆わらを干す
蓬莱祀の俵はわらで作られています。わらは数年で腐り始めます。(これを地元では「どえてくる」と言っています)。このため、数年に一度、わらを一反分集めます。粟田部には「上耒耜(らいし)町」と「下耒耜町」の字名があり、ここに岡太神社の神田がありました。耒耜とは『蓬莱祀のはじまり』で紹介した農具名で今のスコップに相当します。耒耜田は蓬莱祀の起源につながる場所かも知れません。
◆枝ぶりが良い栗の木を選定する
まゆ玉(餅花)を飾り付ける栗の木を、毎年1月に伐採します。江戸時代には翌年の当番が1年前から木を選んで、目印のしめ縄をつけていました。
昔から栗の木は三里山のどこから切り出しても良い決まりでした。山に自生する栗の木から、中央に据える大きめで枝の広がりが良い1 本と、両脇に添える小ぶり2本の計3本を切り出します。餅をつけやすいように、栗の木が落葉する期間を考えて切り出します。
「俵締め」とは山車の台座部分をわら、むしろ、縄で俵のように造る作業です。俵はわらを締め上げて造るので、相当な重量になります。この作業には壮年会と体育協会の両団体が担当しています。
作業の手順は、わら束を数束縄で縛って直径20cm高さ170cmほどの中型のわら束を大量に作ります。次に中型わら束を直径2.5mになるまで束ね、縄で強く縛ります。その周囲に鉄の輪をはめて俵の芯が出来上がり、更にわら束を巻いて直径3m程にします。その周りにむしろを上下2段に巻きます。むしろがずり落ちないように縄で上部を止めておきます。最後に5分縄を俵の中央に15段巻きつけ、2分5厘の縄を交差させながら組み上げて、米俵のように仕上げます。どっしりとして、縄を規則良く編んだ俵が、美しい俵締めとされます。
◆わらをむしろで包み、仕上げは縄で編む
◆餅を花に見立てて栗の木に付けます。栗の木を使う理由は、神聖な木とされる事、枝が曲がりやすいので曳きまわしに適している事が考えられます
俵締めと同じ時間帯にまゆ玉つけを行っています。まゆ玉は餅花とも米花とも呼ばれ、栗の木の幹や枝にちぎった餅を巻き付けたものをまゆ玉と呼んでいます。この作業は、岡太神社敬成会と花筐小PTAが担当します。まゆ玉に使う餅を杵と臼による昔ながらのやり方で約2俵をつきます。
餅つきが始まると地域の方、児童と保護者、他所から見学者などが集まってきます。訪れた人はこの作業に自由に参加でき、餅つきや餅まるめ、まゆ玉付けを体験できます。まゆ玉の他には鏡竹に挟む鏡餅、餅を串に刺した串餅33本、縁起物の王副久之餅約500個、縁起物の手渡しまゆ玉約150本を次々と作り上げます。夕方近くに全て準備が終わり、静かに2月11日の本番を待ちます。
江戸時代の記録によれば、正月4日修羅曳き出し、5日俵締め、6日大縄作り、7日釜づくり、8日米洗い、9日釜払い、10日餅つき、11日餅配りと何日もかけて準備しています。集められた人足は俵締め100人、餅つき100人も集められ、村をあげて蓬莱祀を行っていたようです。
曳きまわし当日は早朝より台座の組立と飾り付けを行います。
【 山車飾り付けの順序 】
- 修羅に俵を載せ、前後左右のバランスを調整する
- まゆ玉をつけた栗の木を俵に打ち込んだ芯棒に縛り付ける
- 幣竹、鏡竹を立てる
- 串餅を取り付ける
- 鳥居、酒樽、太鼓を飾る(これは江戸時代の山車を習ったものです)
- 杉葉で俵の上部を覆う
- 松枝を挿し、しめ縄を山車にめぐらし、紙垂(しで)を取り付け、神を迎える準備を整える
完成した山車の前に祭壇を設け、豊作に感謝する供え物を並べ、約半年に渡る蓬莱祀の準備が終わります。
◆組み立て
組立の順番や飾り付けする物と配置には経験と知識が求められ、出来栄えを左右します。山車の巡行時に、粟の木が電線に触れない高さに調整します。